タロット占いの魅力はなんと言っても、カードの絵柄から感覚的にメッセージを受け取れることですよね。1枚1枚異なる絵柄は、どこかシュールだったり、ユーモラスだったり、神秘的だったり…。
カードの種類やテイストも、タロットパレットでおなじみの「ウェイト=スミス版」以外にも、たくさんあります。
そんなタロットカードですが、実は占いのために生まれたカード(道具)ではなかったのです!
今回は、タロットを「歴史」の観点から紐解いてご紹介していきます♪
描かれた絵柄の「数字」「四大元素」「図像」などに、さまざまな意味が込められているタロットカード。基本的に、大アルカナと小アルカナの計78枚で構成されていて、手軽に占えることから、タロット占いは人気が高い占術の一つです。
でも実は、タロットカードはもともと「占いの道具」として生み出されたものではありません。
「ウェイト版」カードを作ったウェイト氏によると、「神との合一」を目指して製作されたものなんです。
コチラでしっかり学んだよー♪
では、現代の私たちがタロットを占いに使うまでに、タロットはどんな進化を遂げてきたのでしょうか。
この記事では、タロットカードの歴史を詳しく紐解いていきますよ♪
Contents
タロットカードの歴史|まず年表でざっくりつかもう
さまざまな説がありますが、この記事ではその一つとして、ご紹介していきますよ♪
それではまず、ざっくりタロットカードの歴史の流れを眺めてみましょう。
<ざっくりタロット年表>
13〜15世紀 | ・トルコの「マムルーク・カード」 ・フランスのシャルル6世の遊戯用カード |
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15世紀 | ・ルネサンス期、貴族たちの間で使われたゲーム用カード ・「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」タロット誕生 ・「エステンシ・タロット」と「マンテーニャのタロット」 ・イタリア戦争(1494年)を契機にタロットがヨーロッパ各地に拡大 ↓ ルネサンス(14〜16世紀)、宗教改革、大航海時代などヨーロッパ激動の時代 |
17世紀 | ・「マルセイユ版」タロットの原型が登場 |
18世紀 | ・ジェブランの「タロットの古代エジプト起源説」(『原始世界』) ・タロット占い師・エティヤ(エッティラ)登場 |
19世紀 | ・エリファス・レヴィ『高等魔術の教理と祭儀』発表 ・タロットに「アルカナ」という用語が使われる ・「黄金の夜明け団」設立 |
20世紀 | ・ライダー社より「ウェイト=スミス版」タロット誕生 ・アレイスター・クロウリーによる「トートタロット」 ↓ 世界中でさまざまな思想や文化の影響を受けながら拡大していくタロット何やらいろいろな人物や出来事が出てきましたね。 それでは時系列で、順を追って見ていきましょう♪ |
【13〜15世紀】マムルーク・カードとシャルル6世のタロット
カウントアケシ, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
タロットカードだけでなく、トランプ(プレイング・カード)の元祖とも考えられているのは、トルコのイスタンブールにあるトプカプ宮殿博物館所蔵の「マムルーク・カード」。
イスラム文化圏で作られたこのカードは、4つのスート(ポロのステッキ、コイン、剣、カップ)や10枚のヌーメラルカード(数札)と3枚のコートカード(キング・総督・副総督)の計52枚のデッキで成り立ち、現存しているのは48枚です。
その後、14世紀に入って1392年頃、フランスのシャルル6世が、「金色やさまざまな色で描かれた56枚の遊技札」を3デッキ注文したという記録が残されています。パリの国立図書館に17枚が収蔵されていて、これが「最古のタロットでは?」という説があります。
このカードは、若くして王位を継承し、覇権争いに巻き込まれ、長い間精神的に不安定だったシャルル6世を慰めるために作られたと言われ、「シャルル6世のタロット」と呼ばれました。
でも現在ではこのカードはシャルル6世のためではなく、1470年頃、イタリアの貴族・エステ家のボルソ・デ・エステ公爵のために作成されたという説が有力です。
【15世紀】ルネサンス時代に貴族のゲーム用カードとして誕生
15世紀に入り、タロットカードのような遊戯用カードが、イタリアのミラノやフェラーラなど、各地で使用されていたという記録が残っています。明確に「タロットカード」とはいえないものの、それに近いものが、ルネサンス期の貴族たちの間でギャンブルやゲームに用いられていたのです。
一三七七年という年が、プレイング・カードについて言及した記録として最も古い年となっている。(中略)タロット・カードについての現存する最も古い記録は、一四四二年のフェラーラのものだった。すなわち、プレイング・カードの記録は、それより六五年先行している。(出典:『タロット大全』(伊泉龍一著、紀伊國屋書店、2004年)p376)
タロットカードに関しては1442年の資料が最古のものということですね。
この時代、タロットカードらしきカードが貴族たちのゲーム用として普及していましたが、まだ占いに使用されていた記録はありませんでした。
【15世紀半ば頃】「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」タロットの製作
15世紀半ば頃、タロットの歴史をたどる中で大切な出来事が起こります。それが、「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」タロットの誕生です。
ヴィスコンティ家とは、当時、イタリアのミラノを中心に一大勢力であった有力貴族。ヴィスコンティ家は神聖ローマ帝国よりミラノ公爵の地位を授かり、代々継承していました。
そして第3代ミラノ公のフィリポ・マリア・ヴィスコンティのとき、その娘ビアンカと、フィリポに仕えていた傭兵隊長のフランチェスコ・スフォルツァが結婚します。
フィリポは後継者を指名せず亡くなりましたが、フランチェスコ・スフォルツァが襲名しました。
そのフランチェスコ・スフォルツァが画家ボニファキオ・ベンボ(アントニオ・シコグナの説もあり)に命じて作らせたカードが、「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」です。
このカードは、顔料に卵黄などを混ぜて作る「テンペラ絵の具」で描かれたテンペラ画の札でした。
特徴的なのは、壁にピンなどで留めたような跡が残っていること。また、絵柄としては、紋章など、ヴィスコンティ・スフォルツァ両家に関係するシンボルが描かれていると言われています。
「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」が製作されたのは、ビアンカへの結婚記念を祝う贈答品だったという説や、フランチェスコがミラノ公の爵位を継いだ祝いだったという説などがあります。
コチラからチェックしてみてね♪
「エステンシ・タロット」と「マンテーニャのタロット」
ヴィスコンティ・スフォルツァの両家以外では、エステ家のタロットにも注目してみましょう。
1470年頃、フェラーラ公爵のボルソ・デ・エステのために製作された「エステンシ・タロット」です。
このカードもテンペラ画で描かれたゴージャスなカード。当初、「シャルル6世のタロット」と間違えられていたタロットです。現在は、「ゴールデン・タロット・オブ・ルネッサンス」として販売されています。
また、他にもイタリアにあるエレミターニ博物館に収蔵されている「マンテーニャのタロット」も有名です。ルネサンス期の画家のアンドレア・マンテーニャとは無関係で、製作者は不明。中世の貴族たちが教養を身につけるための教育用のカードだったため、これをタロットカードと呼べるのか、議論は分かれています。
このようにさまざまなタロットカードのルーツやそれぞれの種類について、研究が続けられているのです。
【17世紀】「マルセイユ版」タロットの原型が登場し人気を集める
15〜16世紀のヨーロッパでは、ルネサンス(14〜16世紀)、宗教改革、大航海時代への突入など、まさに激動の時代。近代の幕開けを象徴するような出来事が多くありました。
中でも15世紀末、1494年にはフランスのシャルル8世がイタリアに侵攻したことで、イタリア戦争が勃発。この戦争がきっかけとなり、タロットはイタリアからスイスやドイツにも伝わり、16世紀以降、さまざまな文化や思想の影響を受けながら、ヨーロッパ各地で広まっていきます。
主要な都市にカードメーカーが生まれ、イタリアからフランスへと広がったタロットは、特にフランス南東部の港町、マルセイユで多く製作されるようになりました。
17世紀、1650年(推定)には、パリでジーン・ノブレという人物による木版画のタロットで、「マルセイユ版タロット」の原型(最初期のもの)が登場。人々の人気を集めました。そして、カードメーカーが続々とカード製作を始めます。
ただし「マルセイユ版」という名称が広まっていったのは、20世紀に入ってからと言われています。1930年代、フランスのカードメーカー(グリモー社)が、1760年にマルセイユで活動していたニコラス・コンバー製作のタロットに修正を加えた復刻版を手がけ、「マルセイユ版」として発売したのがきっかけ。
この復刻版は大ヒットし、現在に続く「マルセイユ版」へと続いています。
大量生産され、貴族から庶民へと広がっていったタロットカード。当時は特に船乗りもギャンブルでタロットカードを使い、それについて何度も禁止令が出るほど、ゲーム用カードとして普及していきました。
【18世紀】神秘化していくタロットカード
タロットの「古代エジプト起源説」
すっかり庶民にも定着したタロットカードでしたが、18世紀後半になって、突如としてタロットは神秘的なヴェールを被り始めます。
1781年頃、フランスの神学者であるアントワーヌ・クール・ド・ジェブランが、自著『原始世界』第8巻で、「タロットの起源は古代エジプトである」と唱えたのです。
「原始世界」の「原始」という言葉は、ド・ジェブランにとって、(中略)人間の文明の最も輝かしい時代、すなわち「黄金時代」のことである。
(中略)
ド・ジェブランの生きた十八世紀、知識人は彼のように理想化された過去の「黄金時代」を夢想するか、あるいは逆に、科学の進歩を信じて人類のまだ見ぬ未来を理想とするかの二つの間で揺れていた。しかし、いずれにしてもこの頃はまだ大いなるユートピア実現の夢に満ち溢れた時代だったことに変わりはない。(中略)彼にとって、古き良き時代として行き着く先のひとつが、古代エジプトだったのだ。(出典:『タロット大全』(伊泉龍一著、紀伊國屋書店、2004年)p92より)
史上初のタロット占い師・エティヤ
「タロットの古代エジプト起源説」を主張したアントワーヌ・クール・ド・ジェブランに、大きな影響を受けた1人が、エティヤ(エッティラ)です。本名はジャン・バプティスタ・アリエット(アリエッテ)。
エティヤは、ジェブランが『原始世界』第8巻を刊行してまもなく、1783年から2年間、分冊で『タロットと呼ばれるカードのパックで楽しむ方法』(原題:Manière de se récréer avec le jeu de cartes nommées tarots)を刊行しました。
エティヤは、タロットを「占い」に使用した、史上初の「タロット占い師」として有名です。
1789年には、エティヤはタロットカードに四大元素や占星術、数秘術などを取り入れた「エジプシャン・タロット」を発売しました。
ジェブランの「エジプト起源説」やエティヤの思想は、時代考証が進んだ今となっては実証に乏しいとされています。
一方で、「タロットには大いなる真理が隠されている」「タロットは隠された秘密を持つ暗号文書である」といった解釈は、その後に続くタロット愛好家を虜にし、大きな影響を与えました。
【19世紀】魔術として発展していくタロットカード
エリファス・レヴィ『高等魔術の教理と祭儀』
ジェブランに影響を受けた人物がフランスにも一人。隠秘学の思想家、エリファス・レヴィです。本名はアルフォンス・ルイ・コンスタン。
レヴィは1854年以降、『高等魔術の教理と祭儀』(2巻本)や『魔術の歴史』『大いなる神秘の鍵』を出版します。
『高等魔術の教理と祭儀』教理篇/祭儀篇
(エリファス・レヴィ著、生田耕作訳、人文書院)
『高等魔術の教理と祭儀』は、理論を解説した『教理篇』、実践方法を解説した『祭儀篇』の二つに分かれている。本書『教理篇』では、カバラ的・錬金術的・キリスト教的角度から、魔術作業の根底に横たわる諸原理・諸理論を取り上げる。
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本書『祭儀篇』では、魔術の儀式に必要な諸道具、さらに降霊術、呪術、占術などの儀式の中での、これらの道具の具体的な使用法まで、魔術の実践方法が詳しく述べられている。(出典:人文書院『高等魔術の教理と祭儀』教理篇/祭儀篇「内容説明」より抜粋)
レヴィはユダヤ教発祥の神秘主義思想・カバラ思想の研究者だったため、この本の中でタロットとカバラ思想を結びつけ、タロットを「カバラ」の教養を表した図「生命の樹」に対応させて解説しました。
レヴィは、タロットを完全なシステムを持った一つの書物として紹介したのです。
タロットに初めて「アルカナ」という用語が使われる
以降もレヴィの残した著作は、多くの著名な思想家や文学者に大きな影響を与えていきます。その中の一人がポール・クリスチャンです。本名はジャン=パプティスト=ビトワ。薔薇十字団という魔術団体のメンバーでした。
クリスチャンは1863年に『チュイルリーの赤い人』という著作を発表し、タロットを指すのに初めて「アルカナ」という言葉を使います。現在まで使われている「アルカナ」という用語は、この本が初出だったのです。
また、1889年にはパピュス、本名ジェラルド・アンコースがタロットとカバラの解説書『ボヘミアンのタロット(漂流者のタロット)』を刊行。この本でも「アルカナ」という言葉が引き継いで使われ、さらに「大アルカナ」「小アルカナ」と分けて使われました。
イギリスで「黄金の夜明け団」設立・タロットの拡大と発展へ
レヴィが魔術に関する著作を発表していた同時期、1857年にはアーサー・エドワード・ウェイトがアメリカで誕生しています。
そして、後にそのウェイトが参加することになる「黄金の夜明け団」(ゴールデン・ドーン)という魔術結社が、1888年に誕生します。創設者は、マグレガー・メイザース、 ウィリアム・ウィン・ウェストコット、 ウィリアム・ロバート・ウッドマンの3人でした。
「黄金の夜明け団」はカバラ思想(生命の樹)、錬金術、天使論など西洋隠秘学を研究する組織でした。
彼らのタロットの知識の中心にあったのは、秘密の「属性(アトリビューション)」と呼ばれるものだった。ここでいう属性とは、タロット・カードと〝正確〟に対応させられた、ヘブライ語、占星術のシンボル、そして金属、宝石、色などのお互いの照応関係についての膨大な知識の総体のことである。(出典:『タロット大全』(伊泉龍一著、紀伊國屋書店、2004年)p263より)
「黄金の夜明け団」で特徴的だったのは、特有の位階制度があることでした。団員になると儀式や教育を受けながら位階をのぼっていく必要があり、タロットの知識や教義は、団体の中で『Tの書』という文書にまとめられていました。
な、なんとも濃いメンバーなのだわ…
【20世紀】ライダー社より「ウェイト=スミス版」タロットの登場
20世紀に入り、1909年には、ウェイトによって「ウェイト=スミス版」タロットが発表されます。絵を描いたのは、同じ「黄金の夜明け団」に属していた画家のパメラ・コールマン・スミスです。
このタロットはイギリスのライダー社から発売されたため、「ライダー版」と呼ばれたり、パメラの名も入れて「ウェイト=スミス版」、「ライダー・ウェイト・スミス・パック(RWS)版」などと呼ばれたりしています。
「ウェイト=スミス版」タロットでは、それまでどちらかといえば注目されてこなかった「小アルカナ」にも、その一つ一つに具体的な意味が見出せるようになりました。おそらくイタリア・ミラノのソーラ・ブスカ家の所有していたタロットカードから、パメラがヒントを得て描いたのではないかとも言われています。
そして翌1910年には、同じくウェイトによって、解説書『タロットへの鍵』(The Pictorial Key to the Tarot)が上梓されました。
タロットパレットでもおなじみで、現在でも世界中で最も愛用されている「ウェイト=スミス版」は、こうして2人の人物の才能によって生み出されたのです。
アレイスター・クロウリーによる「トートタロット」
世界中で最も流通しているのは「ウェイト=スミス版」といっても過言ではないのですが、さまざまな種類があるタロットの中でも、異色のタロットとして有名なのが「トートタロット」です。
「トートタロット」発案者は、「伝説の魔術師」と呼ばれているアレイスター・クロウリー。彼も一時期は「黄金の夜明け団」に所属していました。
「トートタロット」は、大アルカナのことを「アテュ」と呼んだり、カードの名称や順番が「ウェイト=スミス版」とは異なる点があったりするのが特徴的。
「トートタロット」の神秘的で抽象的な絵柄は、当時、魔術愛好家からも愛され、現在でも多くのファンがいます。
【まとめ】さまざまな思想・文化を反映し世界中に広がるタロット
いかがでしたか?
13世紀に遡ると言われる「マムルーク・カード」に始まり、18世紀には史上初のタロット占い師・エティヤが登場して、タロットが「占い」と結びつきました。
そして20世紀初めに製作された「ウェイト=スミス版」タロットは、現在でも世界中で大ヒット&ロングセラーとなっています。
歴史を知らなくても、感覚的に楽しめるのがタロット占いの良いところ。
でも、キリスト教をベースにした西洋の思想や、それぞれの時代背景とともに、タロットにまつわる主な出来事を知っておくと、タロットのリーディングがさらに深まっていく気がしませんか?
現在でも世界各地で、さまざまな思想や文化を反映しながら、たくさんの種類が展開されているタロットカード。興味を持った方は、ぜひお好きなカードを手にとって、あなたならではのリーディングを楽しんでみてくださいね♪
・『タロット大全』(伊泉龍一、紀伊國屋書店、2004年)
・『タロットの歴史』(井上教子、山川出版社、2014年)
・『タロットの秘密』(鏡リュウジ、講談社現代新書、2017年)
・『高等魔術の教理と祭儀』祭儀篇/教理篇(レヴィ,E(エリファス) 著、生田耕作訳、人文書院、1992年、1994年)
どんな講座なのか、体験談も紹介しているよー♪